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小田深山の

​歴史・文化

​HISTORY AND CULTURE

​小田深山には、現在は定住している人はいませんが、かつてはいくつかの集落があり、温かな人々の営みがありました。

古くは木地師と呼ばれる木工職人たちの住処であり、その後は林業従事者の住処となり、厳しい環境の中で人々は助け合いながら絆を深めていました。​

​高知・愛媛両側から集まった住人たちは,

山の中の集落でどのような暮らしをしていたのでしょうか。

​小田深山略年表

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民家が埋まるほどの大雪の小田深山(昭和37年頃)

​当時の小田深山は積雪も多く、小田深山スキー場ができるまでは、

小中学校向かいの畑をスキー場にして遊んでいました。

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​小田深山中学校新校舎完工

​→平成28年 老朽化により閉館

​学校の奉仕活動で案内版をつける様子(昭和57年)

​昭和40年代から観光開発が本格的に始まり、スキー場や深山荘のオープンをはじめ、時代に合わせて、自然を生かした様々な取り組みがなされてきました。

​小田深山集落分布図(昭和30年代)

小田深山の人口は、営林署の雇用状況と関わるためか常に変動がありました。

​消費生活協同組合(スーパー)ができてからは、松山や大洲から食料が仕入れられ、日用雑貨や衣料品も並びました。

しかし一方で病院はなく、久万高原からの往診や定期健診に頼るか、車で麓の病院に行くしかありませんでした。

​小田深山小中学校には、多い時で小中合わせて100名近くの児童生徒が在籍していました。

​・・・七供養

かつて山の中での事故死は、山の神の怒りに触れたのが原因だと考えられていました。

​その山の神の怒りを鎮めるために祀られているのが七供養であり、杉や檜、楓などに祠が設置されています。

小田深山集落分布図

出典

小田町『小田町史』1985

小田深山小中学校『小田深山郷土資料集』1962